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まったりまったんこ

アルファポリスでまったり小説掲載中です。 習作短編やSS、設定の裏話やボヤキなど。 ネタバレがある場合は件名に記載します。 ジャンル:人間模様>>恋愛、ファンタジー

母の顔と創作家の顔

思ったことをつらつらと。
長くなるので畳みます。


「創作再開してから顔つきが変わった」と母に言われた。「前まではお母さんっていう顔だった」

今の私が、母であるよりも創作家なのは確かにそうで、子どもが可愛くない訳じゃないけど創作のこと考えてる時間の方が断然長い。

母でありながら創作家であれる人たちはすごいと思う。私の中では全く両立しなくて、母であるときは創作のことは考えられないし、創作してるときは子どもへの愛情は薄らぐ。
母のままで文章は書けない。
多分、母になる前に創作してたからだろうし、その期間の方が断然長いからだろう。

しばらく夫も母もそれに戸惑って苛立ってたけど、諦めたらしい。
「うちのお母さんはこうなんだ」でもいいんじゃない、と。

世間一般の母にはやっぱりなれない。
けど、全力で何かに取り組んでる母もいていいんじゃないの。
そう思うのは社会的にはわがままだろう。それも分かってる。それでも、私は捨てられない。今見えているこの先に何があるのか、進まずにはいられない。
「今はセーブして、子どもが大きくなったら本格的にやれば」とも言われたけど、無理なんだ。そんな器用なことは私にはできないんだ。
多分、どうしても母でいなきゃいけなくなったら、私は創作をやめるだろう。

正当化する気はない。ダメな母親と言われても仕方ない。それでも私は私なりに子どもたちを愛しているし、母になれてよかったと思ってる。

何でこんなに必死になってるのか、自分でもよく分からない。趣味、の域を越えて狂ってる、とも思う。
それでも、もし子どもが今の私くらいの年になったとき、「お母さんよくこんなの書いたね」と言ってもらえるものは書きたいと思う。いや、書いてると思う。
展開が、とか、面白い面白くないとかじゃなくて、私の作品には、生きてる人間がにいると思ってる。それを魅せる力はまだ乏しいかもしれないけれど、それぞれ生きた人間として、経験し、悩み、考えていると思ってる。

人は自分ひとりの人生しか経験できない。
経験できないことは、想像することもない。
でも、そもそも多くの人は、想像することもしない。

作家は複数の人生を経験できる数少ない方法で、同時にそれを誰かに届けられる。
共感した人を救ったり、考えたこともなかったことに気づいてもらえればーーそして、気づかれない故に苦しんでいる人に寄り添ってもらえたらいいなと、思ってる。

私はいずれ、子どもたちに、自分の周りにいるたくさんの人たちが、それぞれの経験や想いの中で生きていることに気づいてもらえるといいなと思っていて、
その契機の一つが、私の作品であったらいいなと思っている。

鳴かず飛ばずのウェブ作家が何を大層な・・・て感じですが、本当に、本気で思ってるんですよ。
馬鹿みたいに。
だからね、やめられないよ。社会で言うところの「芽」が出ても出なくても、いずれただ埋もれていくだけだとしても。

苦しみと決意の狭間で、そんなことを思ったのでした。

昔はね、小説家になりたい、漫画家になりたい、と思ってたんですよ。
でも今は違う。
小説は手法にしか過ぎなくて、小説家っていうのは結果にしか過ぎない。
書籍化だってしてみたい。けど、本にして満足感を得たいというよりも、校正の過程で変化していく作品を見たい。その経験を経て自作が変わるのを見たい。

そう思い始めたとき、不思議と確信したんです。
「この先に何かがあるんだろう」って。その「何か」
をモノにしなくちゃって。

想いが込み上げたので書いてみました。長い。

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